沈黙が往還する


 詩だけではなく、散文も含めた自分の書くものすべてがそうであると言えるのだが、私にとって書くという行為は沈黙の表象としてある。日々生きている中で遭遇する、沈黙せざるをえないような局面。自らの場を守るためにあえて沈黙する。また、様々な外圧によって、自我が言葉を失うようにして沈黙する。生きていく中で沈黙してしまうような場面は、様々に考えられる。私自身もそうなのだが、考えていることを内側に溜めこんでしまいがちな性質の者の場合、世界は沈黙を強いる場所としてある。そのような者が飲みこんだ言葉をひそかに吐き出すために創作に向かうのは、至極当然な道筋としてあるだろう。
 また、詩の性質を考えてみても、それは沈黙に似つかわしいものとして映る。世界によって強いられた沈黙を、詩の形で表現する。それは詩もまた沈黙に近しいものであるがために、いささかシニカルな様相を帯びてくる。つまり、強いられた沈黙を沈黙で返すようなものであり、単純に反転して饒舌になるというのとはわけが違うのだ。個人的には、そこに詩という文学形式の奇妙な面白さがあると思うが、それを詳細に語るのはいまのところ私の手に余る。
 ともかく、沈黙によって生み出された言葉もまた沈黙を帯びているのであり、たとえどんなに多くの言葉を費やして語られたとしても、それが詩である限りは、そうした特質から逃れることは出来ない。明日も私は、外の場所で沈黙を強いられる。そして、自分一人の場所に戻ってきてもなお、その沈黙を詩の中に流しこもうとする。私の言葉はすべて、そのようにして沈黙が内と外を往還する現象の中を、永遠に巡りつづけるものとしてあるのだ。



「横浜詩人会通信」第274号所収


(二〇一〇年二月)



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