わが原風景


 誰でもというわけではないかもしれないが、人は多くの場合、記憶の中に原風景を持っている。それは、その人の初めての記憶というわけではないかもしれないが、幼い頃に見た風景がその後ずっと頭の中に残りつづけていて、その人の生に少なからず影響を与えることになる。原体験と意味合いが似通っているが、映像的なイメージを伴っているため、時に郷愁のような情感を醸し出すことにもなる。それは山だったり、海だったり、高原だったり、街中だったり、人によって様々だが、その映像がいつまでも記憶に残りつづけていることに変りはない。

 詩を書いていたり、絵を描いていたり、何らかの創作活動に携わっている人の場合、それ以外の人よりも固有の原風景や原体験を持っていることが多いのではないだろうか。詩人の原風景といっても、それは決して特異なものではないのかもしれない。ただ、自らが詩を書いてゆく中で、自らの原風景に影響を受け、また、原風景を出発点として詩を書いている人が、本人が意識しているかどうかはともかく、けっこういるのではないだろうかと思える。

 僕の原風景。それはまだ三才ぐらいの頃、僕等家族が一時期住んでいた、茅ヶ崎市内のれんげ畑にあった。当時の僕は両親が共働きだったため、幼稚園ではなく、保育園に通っていた。僕は保育園を黙ってぬけ出し、ひとりで街をさまよい、近くのれんげ畑に行っていた。たったひとりで、紫色のれんげ草に囲まれて立っていた。そんなことが、何度もあったらしい。後で親から聞かされた話と自分の記憶が混淆して、多少事実とは違ったものになっているかもしれない。だが、僕の中では、ひとり街をさまよい、れんげ畑の中に佇んでいたという記憶が、根強く頭の中にこびりついている。れんげ草といえば、春に紫色の花を咲かせるごくありふれた花であり、これが原風景になっているということは、詩人の原風景としては多少面白みに欠けるものであるかもしれない。それでも、僕はこの原風景に影響を受けて、それを出発点として、詩を書いてきたようなところがある。三つ子の魂百までもというが、いまだに僕にはひとりで街中をさまよう癖があるし、れんげ草が咲いているのを見ると、心の中の何かが癒されるような感覚がある。

 いまから十年ほど前、こうした僕の原風景を詩に書いたことがあった。いまから見るととてつもなく稚拙で読むに堪えないものだが、あえて恥を忍んでここに引用してみよう。たった十行の短い詩で、タイトルもそのものずばり、「れんげ草の頃」という。



れんげ草があった
いまは駐車場になってしまった
茅ヶ崎の春の光
そこには一面にれんげ草が生い茂り
僕は 幼かった僕は
早くも癒しの場所を求めて
紫の輪舞に囲まれて
佇んでいた

ふり返るための
闇があった

 この詩の中で書いているように、僕の原風景であるれんげ畑は、その後駐車場になってしまったらしい。もっとも、これもまた、後になって他の情報とごちゃまぜになって、記憶が改変されてしまっているのかもしれないが。

 その後、僕等家族は同じ神奈川県内の二宮町に引っ越している。れんげ草の原風景からわずかに離れてしまったが、その町でも、記憶に残る様々な出来事があった。だが、それはまた別の話だ。

 人の記憶に残る原風景、それはその人の人生に静かに影響を与えつづけ、物言わず、記憶の中に鎮座している。原風景を懐かしみ、それを癒しの場所として、現実からの逃避の場所にしてしまうことも可能だろう。だが、せっかく長い年月の中にさらされても残りつづけているのだから、それを逃避の手段ではなく、もっと有効に使いたい。原風景から逃げるのも、原風景に逃げこむのも、出来れば避けたい。原風景を出発点として、それに適切な肉付けをして、より大きな生へと踏み出すことが出来れば良いと思う。

 僕の記憶の中に残るれんげ畑は、いまも春の日の紫色の輝きを放ったままだ。



(二〇〇五年十月)


 

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