父が書いた詩


 数年前、引越しの際に荷物を整理していたら、和室の天袋の中から、昔父が書いた詩の原稿が出てきた。以前から、僕の父親は若い頃に詩を書いていたらしいと、聞いてはいた。だが、僕の知る父の姿からは詩を書くことなどを想像することは出来ず、僕は半信半疑だった。

 僕は詩人としての父の姿がかつては確かに存在したのだということを知ったのだが、実際に原稿を手に取ってみても、それが果たして本当に父が書いたものなのか、それとも誰かの詩を書き写しただけのものなのか、判断出来ずにいた。というのも、原稿に署名はなく、ただ表題と中身が書かれているだけで、同時に出てきた別の紙片には、戦前から戦後にかけて活躍した詩人、丸山薫の詩が書き写されていたからだ。

 何はともあれ、僕の父が書いたと思われる詩を紹介しよう。発見されたのは、詩が二篇と俳句が四つである。どれも同じB5サイズの無地の紙に手書きで書かれている。いったいどれぐらいの歳月が流れているのだろうか、その紙片は茶色く汚れている。



火一つ
寒村の堤の上に光を流している

夕闇迫り雲重く
白々しい渚にくずれる波の
冷酷のしぶきが灯影に散る

独りじやく然として四囲をあきらめ
遠く暗黒の海にさまよう
いさり舟の尊い生命の灯となり
はてしなき旅路にさすらふ
人の子の郷愁を
やさしくかき抱く灯の輝きに
私はじつとなごみこんでゆく

今宵もうるむ灯影は
激しい情を含んで
ゆらめかずまたたかず
愛の光を
  平和に流している

 これは「渚の灯」と題された一篇。正統派の抒情詩という印象である。つづいて、これよりも長い「富士山」と題された詩。



彼は倣然と立つ 彼は支配者なのだ
   彼の男らしい征服者の
    輝かしいマスクを仰ぐ
哀れなる民衆は彼の威容におびえつつ
   夜となく昼となく
    小休みもなく働きつづける
彼等の同情者は大地のみ
   彼等は小声でこう大地に呼びかける
    仲間よ同胞よ運命がなんだと小さな声で
すると忽ち彼のあらしはヒュ―と鳴って
   このかすかな自由をも打ちくだく
大地はこれを見、聞き、而してもくしていた
   空には月が輝き、星が笑つていた
遠く近く弱く強く万古不滅に

太陽は絶ゆる事なく照りつける
   土地は大きく裂け耕すべき土もなく
    休むべき木蔭なく河には飲すべき
          一滴の水もない
かくして彼等の唯一の同情者の上に
   肉体と肉体の目をそむけん惨虐と
    斗争の大絵巻
一匹の猫は数百のねずみに噛み殺される
   血は喉をうるほし肉は飢を満たすのだ
一と十 十と百 そして最後の二人は
   かみあったままばつたりと打ちふした
    骨の山と血の池の中に
大地はこれを見、聞き、而して黙していた
   空には月が輝き 星が笑つていた
遠く、近く、弱く強く、万古不滅に

そして今とくと見よ
   そこには緑したたる若葉の木蔭
    清冽玉をなす紺碧の流れ
金波銀波とおし寄せる憩いの原に
   人には幸福に歌いさざめき
美しい恋と、友情と、真実と、自由と
   そして又善良なる支配者と
だがよも知るまいの
   御身等が足下に横たわる
    血の流れと骨の山とを
奇しくも大地は黙し
   月は輝き 星は笑ふのみなるが故に

 一読して意味が読み取りづらいが、長い年月の上に立つ現在という時をうたっているのだろうか。以上の二篇の詩に加え、最後に俳句が四つ。



春泥を浴びてここにも翁草



いづこより来て啼く鳥ぞ深山雪



この湖に鶴とんで舞え世界一



寒雀ここに来て見よ粟の粥

 これが発見されたもののすべてである。文語から口語に変わりつつある時代の、抒情詩の影響を受けているものと思われる。だが、父は谷川俊太郎や大岡信と同年の生まれなので、やや時代に乗り遅れた感がある。これらの大詩人の初期作品とくらべてみても、父が書いたものがいかに古色蒼然としたものか、ひと目でわかる。

 父がかつて本当に詩を書いていたのなら、父はいまの僕のことをどう思っているのだろうか。僕は家族に自分の書いた作品を見せたりはしないが、僕が詩を書いていることは父も知っているはずだ。父が挫折した道を、息子である僕が、いま歩いている。時は継がれ、思いは継がれ、その歴史の上に僕がいる。

 僕は発見した原稿をそっと持ち帰り、パソコンのWordに書き写して保存した。そしていま、自分の文章に引用するという形で、父の詩を発表しようとしている。恐らく当時は発表する当てもなかったであろう詩を、父の代わりに発表するのであるが、父はそのことを知らない。父には内緒で、父の詩を人目に触れさせることになるのだ。

 現在の父は日がな一日テレビを見て、ぼんやりと過ごしている。そこに詩を書いていた父の面影はない。息子からすれば乗り越えがいのない、だらしない父である。いまや年老いてしまった父の姿を見て、昔自らが書いた詩のことを思い出したりするのだろうかと思って、ふと淋しい気持ちになった。



(二〇〇五年三月)


 

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