There Is A Light That Never Goes Out


 はじめに光がある。
 闇の中にある光。闇の中だからこそ存在感を放つ光。だが、周囲がすべて闇であることは間違いがなく、だからこそそこにいて生きることはつらく苦しい。それでも、光はある。ただひとつの光を頼りに歩く。足下を見つめる。地表にはおまえの落とした息が死んだような顔でいくつも横たわっていて、おまえはそれらを踏まないように、死をさらにひどく殺してしまわないように、細心の注意を払って足を動かす。ただ足を動かしている、そのことが前に進むことと同じであるかどうかもわからずに、おまえはただ足を動かし、地を踏みしめつづけている。
 それから光は角度を変えて、おまえの立っている道の先を照らし出す。誰もいない道。何者も通過しない寂れた道。その端におまえは立っている。道の左右は闇の中で何もわからないし何も見えないが、どうやら世界中のあらゆるものが高速で過ぎ去っているらしい。おまえの思い出も、おまえの知らない誰かの思い出も、すべての想念がとてつもない速さで道に沿って通り過ぎていく。おまえの知るはずのない、世界のあらゆる知識や感情。それらはこの世界に存在するのがおまえだけではないことを教えてくれるが、ただそれだけで、おまえとそれらのものがどうしたらつながることが出来るのか、その答や方法を教えてくれるわけではない。ふと頭上を見上げると、空の星ぼしも北極星を中心にしてぐるぐると高速で回りつづけている。見つめていると、目が回りそうになる。周囲のものはすべてこんなにも速く過ぎ去っているというのに、なぜ自分だけがこうして時間のない停滞の中にいるのだろうか。そう思うと、とてつもない寂寥感に圧倒されそうになってくる。そして、おまえは空想の路線バスや十トントラックに猛スピードで体当たりをしようと試みる。だが、見えない空気に弾き飛ばされ、力なく路面に座りこむ。それからまた立ち上がり、服の汚れを軽く払ってから息をつく。またひとつ、おまえの息が路上に落ちる。
 それでも光はある。闇の中で、おまえのいる場所を中心にして、光は輝きつづける。ふとおまえは思いつく。なぜ自分は誰もいない道の上に立っているのか。道の左右を通り過ぎつつあるものたちのように、誰もがみな去っていってしまったのだろうか。もうこの世に自分の存在を気に留めている者などひとりもいないような気がして、おまえは目を閉じる。闇の中で目をふさぐということは、またもうひとつの闇の中へと沈潜することである。おまえは目を開ける。やはり闇である。おまえはふたたび足を動かして、道の端から真中へと進み出る。誰もいないということは、この道は自分のためだけにある道ではないのか。そう思って、おまえは深呼吸する。今度は息はこぼれない。ただおまえの胸のあたりにふわふわとただよっている。相変らず周囲は高速で通り過ぎているが、おまえは自分自身が北極星になったかのような心境になっている。新しい天動説。その発見をたずさえて、おまえは道の先の闇を見つめる。光の手助けを借りて、道の先の闇の奥を見通す。
 光はある。たしかにここに、おまえのもとに光はありつづけている。もう奇妙な恐れもなさけない懇願も必要ない。光は、おまえ自身から発せられていたのだ。だから、光はおまえがいる限りそこにありつづける。周囲が闇であることは変らない事実としてあるかもしれないが、闇はその暗さのゆえに光の眩しさに目を細めているのかもしれない。おまえは立っている。道の上に立っている。おまえのそばに、おまえの中に、けっして消えない光がある。



(註)タイトルはThe Smithsの同名曲から。なお、三段落目の「バス」と「十トントラック」は同曲の歌詞から借りた。


(二〇〇七年十月)



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