てがみ


(前書)
この散文は『ウエブ女流詩人の集い 蘭の会』の中のコンテンツ「おてがみ」のために書かれたものです。名前の通り、『蘭の会』は女性詩人たちが集う場所ですが、「おてがみ」のコーナーでは毎月性別を問わずまた詩人であるかどうかも問わずに、外部の者に手紙形式での原稿を依頼しています。その二〇〇七年九月分に岡部が原稿を執筆しました。女性詩人たちが集う場所なので、文中の特に書き出し部分での「あなた」とは主にそうした女性詩人たちのことを指しています(文章の途中から、一般的な意味での他者に変っていますが)。Web上の特定の場所向けに書いたものであるため一般性はあまりないかもしれませんが、作者自身気に入っている文章なのでこちらにも再録しました。ちなみに、ここに再録したものは一部の語句を修正しています。岡部の「おてがみ」が載っている『蘭の会』のページはこれです(余談ですが、このページに載っている写真は岡部の子供の頃の写真です)。

 あなたはいま、どこにいますか?
 誰にともなく、そんなことを問いかけながら生きてきたような気がします。その対象はあなた方のような女性である場合もあれば、そうでない場合もあったでしょう。また、性別を越え、人という種でさえも越えた、漠然とした存在を相手にしていた場合もあったでしょう。むしろ、そのような存在に呼びかけていた方が多かったかもしれません。考えてみれば、生という漠然とした時間の中を生きるのには、そうした相手に呼びかけるのがふさわしいのかもしれません。

 僕はいつも、「世界」というものを念頭に置いて生きてきました。この人々の志向が細分化した現代において、それはいささかアナクロ的な物の見方であるのかもしれません。しかし、またその一方で、僕はいつも、「世界」の中に存在するであろう「あなた」に向かって声を発しつづけてきました。その「あなた」は特定の誰かである場合もあれば、眼に見えない漠然とした存在、頭の中で思い描いただけの不安定な存在の場合もありました。それは僕のその時々の生の状態によって変っていったのですが、ともかく「世界」というマクロなものと、「あなた」というミクロなもの、この二つの間で宙吊りになりながら生きてきたような気がします。かつて谷川俊太郎氏が「世間知ラズ」という詩を書いたように、「世界」は容易に卑近な「世間」と置き換えられうるものなのかもしれませんが、「世界」と「あなた」の両方が持つ謎が、僕をここまで生かしてきたようにも思います。言うまでもなく、「世界」は永遠の謎でありますし、「あなた」という他者も、他者であるがゆえに謎を保ちつづけています。そして、僕という存在も決してすべてわかりきったものであるわけではなく、自分というものを客観的に見ることが困難であるから余計に謎のままであるのも確かなことです。結局、「世界」と「あなた」とその二つの間に挟まれた「僕」と、この三つの謎を抱えて、その謎の前で立ちすくみ、時にうちのめされながら生きてきたのでしょう。ことさら大げさな書き方をしているようにも見えるかもしれませんが、考えてみればそうした生のあり方というものは、ごく普通で平均的なものであるのかもしれません。しかし、だからこそ逆にそれは非常に尊いものであるのかもしれません。

 いまさらこんなことを言うのも野暮ですが、僕たちが住む「世界」はそうした無数の「あなた」や「僕」や「世間」や「世界」の謎と、それらの複雑な関係の網の目の中に存在しています。その網の目を網の目として認識して、その複雑さを肯定するか否定するかは人それぞれの態度によって様々であるでしょう。その態度の色分けがそれぞれの生の色合いを決定づけている要因なのかもしれませんが、ただひとつ言えることは、詩を書く者はその網の目を解きほぐしたりわざともつれさせたりする力を持ちうる、少なくとも、そうした力や技術に憧れる存在であるということです。

 詩とは何でしょうか? 人によって答は様々でしょうが、とりあえず僕にとって詩は「世界」を覆う薄い膜のようなものではないかと思っています。前述した「世界」や「あなた」の間に張り巡らされた網の目の上からすっぽりと包みこむように詩は存在していて、誰にともなく抒情を発信しつづけている、それが詩だと思うのです。その発信の仕方は、「誰にともなく」という不安げで頼りないものであるから、それに気づく者はそう多くはいません。しかし、詩のそういう存在のあり方というものは、先ほど書いた「あなた」への問いかけや、「世界」や「あなた」や「僕」の謎の前で立ちすくむ姿勢にとてもよく似ています。すなわち、詩を書くことは生きることによく似ていると思うのです。

 この世界には様々な人が住んでいて、それぞれの生を生きています。同じく、世界には様々な詩があって、それぞれに読まれたり読まれることなくひっそりと息を潜めていたりします。誰にも読んでもらえないかもしれない詩を書きつづけ、そうした徒労のような努力をつづけながら、なおも僕は「あなた」に呼びかけます。無数の「あなた」、目に見えない「あなた」に向けての、片恋のような感情。それが僕を生かしつづけているのかもしれません。

 あなたはいま、どこにいますか?
 僕の声が聞こえたなら、それをしっかりと享け止めて、あなたの声を混ぜ合わせながらご自分の中で育ててください。お返事は必要ないかもしれません。ただ、あなたの中にある「世界」との距離を確認して、そこにあなたの声と一緒に僕の声が響いているのを確認していただければ、僕のやるべきことは終ったようなものです。
 いつか、どこかでお会いすることがあるかもしれません。その時までお元気で。あなたの声が、「世界」とともにありますように。


(二〇〇七年九月)



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