空を見上げる


 空を見上げるのが好きだ。全天が雲で覆われている時以外は、外に出ると必ずといっていいほど、空を見上げる。普通の人はあまり空を見上げない。時にはうつむいて歩いていることもある。空を見上げるのが好きな俺は、そんなに足下ばかり見て歩いていても、そうそうお金が落ちているわけでもあるまいになどと思うのだが、彼等は相変らずうつむいて歩いている。ある者は手元の携帯電話を見ながら、ある者は視線を地面にさまよわせて、猫背で歩いている。
 空を見上げながら歩くことは姿勢を良くするのに効果がある、というのは冗談だが、そんなにうつむいてばかりじゃ、自らの半径1メートルぐらいまでにしか気が回らなくてよくないのではないかと、お節介にも思うことはある。空が好きだから、ぬけるような青空や、様々な雲の形や、西の空の夕焼けや、色々に変化する空の色彩、そしてもちろん夜空に輝く星ぼし、空にあらわれるこれらの現象すべてが好きだからこそ空を見上げるのだが、空を見上げるという行為はそれだけにとどまるものではないと思う。空を見上げるということは、はるか遠くを見つめることでもある。空を見上げて、遠くを見つめて、自らの生の射程範囲を広げるのだ。普段の日常生活の中では、うつむいて歩いている人と同じように自分の周囲にしか気が回らないのだが、空を見上げることによって、自分とその周囲だけが世界のすべてではないことを知る。理屈ではなく、感覚によって優しく知らされるのだ。そして、思考は空に飛び、想像は空を舞う。人としての窮屈な日常から一瞬解放され、人を越えることでより良い人に近づくことが出来る。空を見上げることは遠い場所への視線を鍛えることであり、それは自らの足下を見ているだけでは決して得られない貴重な方法だ。
 今日も空は無言で人びとを見守っている。それに応えて空を見上げる人が、少しはいても良い。今夜の星は、どれだけ美しく輝いているだろうか。



(二〇〇五年五月)



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