近代詩再読 村野四郎


 村野四郎を近代詩人に分類するのは多少のためらいがある。確かに第五詩集までが戦前に刊行されており、戦前に出発した詩人として近代詩人の範疇に含めてもおかしくないかもしれない。だが、戦後三十年を経た昭和五十年(一九七五年)まで生きた詩人であり、その詩的業績の多くは現代詩の時代にまではみ出している。『実在の岸辺』(一九五二年)『亡羊記』(一九五九年)などの重要な詩集は戦後に刊行されている。いや、それ以上に村野四郎の詩には「近代詩」と聞いてイメージされる古臭さがほとんどなく、実に現代的で「現代詩」の地表にまっすぐつながっているという感覚がある。同時に、戦前の村野四郎は詩人としての本領をまだ発揮しておらず、戦後になってその真のすごさを顕わにしたようなところがある。

 だが、とにもかくにも、村野四郎を便宜上「近代詩」の範疇に含めて、なおかつ僕がこの詩人の詩に対して抱く現代性というものはどこにあるのかを探ってみたいと思う。



僕には愛がない
僕は権力を持たぬ
白い襯衣の中の個だ
僕は解体し、構成する
地平線がきて僕に交叉(まじわ)

僕は周囲を無視する
しかも外界は整列するのだ
僕の咽喉は笛だ
僕の命令は音だ

僕は柔い掌をひるがえし
深呼吸する
このとき
僕の形へ挿される一輪の薔薇

(「体操」全行)

 あまりにも有名な『体操詩集』(一九三九年)からの一篇である。ごらんのように、ここには「近代詩」と聞いてすぐさま連想されるような甘い抒情もなければ、自我にぴったり寄り添った詠嘆もない。あるのは、ただ事物を率直に見つめる濁りのない眼差しだけである。第一連三行目の「僕は解体し、構成する」などという言い方は、それまでのいわゆる「近代詩人」たちなら絶対に使わない言い方だ。ここではあらゆる感傷や詠嘆は周到に回避され、ただ事物を描くことにのみ詩人は精力を傾けているようだ。村野四郎は「新即物主義(Neue Sachlichkeit)」という「一九二〇年頃ドイツに起こった一つの文学運動」(「わが国の新即物主義と超現実主義」『現代詩文庫1028 村野四郎詩集』(思潮社)所収)に影響を受けていたらしい。だが、とりあえずそんなことは僕にとってはどうでもいいことだ。詩人に限らず何らかのクリエイティブな作業をしている人には、誰かや何かから影響を受けることが一般的であるが、問題は影響という根源にあるのではなく、当人がその影響をいかに自らの血肉として生かしえたかということだ。

 ドイツから移入された「新即物主義」なるものがいったいどういうものであるのか寡聞にして知らないが、恐らくここでは影響がもろに生の形のままで表われているのだろう。一歩間違えれば、この当時詩壇に流行していたモダニズムと同じように、意匠は新しくても時が経てば古びてしまうようなものになりかねない危険性をはらんでいたと思う。「永遠なる芭蕉」(同じく『現代詩文庫1028 村野四郎詩集』収録)という文章の中で、詩人はこの詩を「思想的にも、形式的にもドイツのノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)の実験のつもりで」書いたと述べている。実験というものは、その時は新しく見えても、時が経過すれば古臭く見えてしまうものなのだ。だが、この詩の場合はその危ういバランスの上で何とか踏みとどまっているように見える。「僕は周囲を無視する/しかも外界は整列するのだ」などという詩行は、いま書かれたとしても決しておかしくはないだろう。

 『体操詩集』一冊があまりにも有名なため、ともすればこの一冊だけで村野四郎という詩人が代表されてしまうような錯覚を覚えてしまいそうになる。感傷の排除と実験の瑞々しさ。だが、この詩人の本質はそんなところにありはしないだろう。『体操詩集』以降に書かれた膨大な詩群を読んでいくと、村野四郎というひとりの詩人が描き出す世界は、誰もが生の中で何度も潜らなければならない「孤独」という感情とまっすぐに向き合ったものだと感じられる。



うつくしい思想が花ひらくかげに
私は目だたずに実をむすぶ

遠いこえが
近いこえの中に消されるように
私はたえず
私をうち消すものの中に生きた
昨日の花
おお 遠いこえ

(「遠いこえ」全行)

 一九四二年に刊行された『抒情飛行』からの一篇だが、ここに表出された乾いた孤独感はどうだろう。ここでもべたべたした感傷は存在せず、その抒情はひたすらに乾いているのだが、乾いているがゆえに静かに迫る何かがここにはある。「私はたえず/私をうち消すものの中に生きた」と語る痛切さは、読む者の身に静かに迫って何らかの決意を促してくるようでもある。何も「新即物主義」などという言葉を聞いておじけづく必要はない。この孤独感は誰でもが共有出来るものだろう。無心になって、詩人の乾いた声に耳を傾ければよい。

 戦後に書かれた詩の中では恐らく最も有名であろうと思われる「鹿」(『亡羊記』一九五九年所収)も、そうした孤独感を表出した詩の系譜に連なるものと思われる。



鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

(「鹿」全行)

 これはそのひとつ前の詩集『抽象の城』(一九五四年)に収められた「さんたんたる鮟鱇」と同じように、いままさに死につつある動物を描いたものであろう。「さんたんたる鮟鱇」では「見なれない手が寄ってきて/切りさいなみ 削りとり/だんだん稀薄になっていく この実在」と、まさに殺戮の瞬間そのものが描かれているのだが、「鹿」においては「彼は知っていた/小さい額が狙われているのを」とあるように、これから先の死という未来の前で鹿は「じっと立って」いるのだ。鮟鱇にしても鹿にしても、彼等はそれぞれ孤独に死ななければならない。だが、鹿は死を予感しながらも、残された生を生きようとする。「生きる時間が黄金のように光る」けれども、その「時間」は「大きい森の夜を背景にして」いるのだ。そこにある孤独感、乾いた絶望(あるいは希望)。



夏桃のくろい茂みが虫にくわれて
そのむこうから
空が剥がれてきた

街には コスモスが
恋愛のように咲いたりしていた
だが見おぼえのある人は
ひとりも通らなかった
とある道ばたの 積みかさなった石(ころ)の間に
おれは 犬のようにすわっていた
ガラスの眼球に桔梗の空間がうつっていた

けれども おれは知っていた
永遠などというものは
結局 どこにも無いということ
それは蛔虫といっしょに
おれの内部にしか無いということを

何かやさしいものが
耳もとを掠めていったが
振りむいて見ようともしなかった
はじめから おれには主人がなかったことを
憶えきれないほどの多くの不幸が
おしえていて呉れたからだ

おれは 熱い舌を垂らしていた

(「秋の犬」全行)

 詩集『実在の岸辺』(一九五二年)に収められた詩だが、この詩などは「荒地」の誰かが書いたといっても信じてしまいそうになる。それほどに現代的だ。特に最後の「おれは 熱い舌を垂らしていた」という一行は、田村隆一の「イメジ」の最終行「わたしは犬のように舌を垂らしている。」とそっくりなので、なおさらそう感じられる。

 これまで紹介してきた詩はわりと控え目な喩を使用したものが多かったが、この詩の場合はそれよりもやや難解な喩を使用しているように思える。第一連の「夏桃のくろい茂みが虫にくわれて/そのむこうから/空が剥がれてきた」といった感覚的な喩が代表的だが、この詩はただ難しい喩を使ったわかりにくい詩で終ってはいない。第二連以降に描かれた切実な孤独の感覚こそがこの詩のテーマであり、読む方もそこに最も惹きつけられるのではないだろうか。「だが見おぼえのある人は/ひとりも通らなかった」「何かやさしいものが/耳もとを掠めていったが/振りむいて見ようともしなかった/はじめから おれには主人がなかったことを/憶えきれないほどの多くの不幸が/おしえていて呉れたからだ」といった孤独感をうたった詩行の前後に挟まれる喩、たとえば「街には コスモスが/恋愛のように咲いたりしていた」「ガラスの眼球に桔梗の空間がうつっていた」などといった表現は、この詩の中心となる孤独感を見栄えよく際立たせるための道具であり、その企ては見事に成功している。

 ここに至るまで、僕は「乾いた」という表現を何度も使用したが、僕の直観的な捉え方によれば、この詩人の詩の最大の特徴はそこにあると思われる。湿度の低い乾いた抒情。思えば、それは近代詩と戦後の現代詩をわかつ重要な要素のひとつであるように感じられる。非常におおざっぱな捉え方でお叱りを受けるかもしれないが、近代詩は湿度が高くねばついている。それに対し、現代詩は湿度が低く乾いている。そのような印象が僕の中にある。もちろんおおざっぱな感じ方なので、個々の詩人の作品に細密に当たってみればまったくの見当外れだということも充分にありうることであるのだが。ともかく、この小文の最初に書いた「村野四郎の詩には「近代詩」と聞いてイメージされる古臭さがほとんどなく、実に現代的」だと感じたのも、このへんに淵源があるのかもしれない。現代的な乾いた抒情。そうした特質を持つがゆえに、『体操詩集』で試みたような実験も可能であったのだろうし、その詩に描かれた世界は古びることなく生きつづけているのではないだろうか。また、『体操詩集』で取り入れた「新即物主義」は、詩人がもともと持っていた乾いた抒情という資質を最大限発揮するためのジャンプ台のような役目を果たしていたのではないかと思われる。「新即物主義」の助けを借りて、詩人は自らの資質に目覚め、以後、思う存分その才能を開花させていったのではないだろうか。

 村野四郎の詩を読んでいくと、「乾いた抒情」と「孤独感」というふたつの大きな柱が見えてくるような気がする。恐らく『体操詩集』の頃の彼は、詩壇でも異端の存在だったのではないだろうか。その乾いた抒情はあまりにも時代を先取りしすぎていたし、天皇崇拝をバックボーンにひたすら戦争へと突き進んでいく時代の中で、その無神論的とも言える孤独感の表明は、頼りないものであるがゆえに逆に現代的であった(余談だが、この詩人には「無神論」という表題の作品もある。それは「村野四郎には神がないと/ぼくの詩の友はいったが」という二行で始まっている)。だが、それゆえに、この詩人は戦後の混乱した時代になってようやく本領を発揮し、「秋の犬」や「鹿」といった名作を残しえたのではないだろうか。もちろんこの詩人の大きすぎる存在感を思う時、それだけでは語りえないものが残ってしまうのも確かなことだ。だが、この乾いた風が吹くような現代に生きる人々が村野四郎の詩から受け取る孤独の思いこそは、時を経ても色褪せないものであり、それは詩人からの大切な贈り物であるかのように思えてくるのだ。



(二〇〇六年六月〜八月)



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