失語から生きる


 先日、横浜詩人会が主催するイベントに行ってきた。JR関内駅から歩いて数分、横浜スタジアムの近くにあるZAIMという古いビルの中のミニシアターで行なわれたものだ。第一部は横浜詩人会会員によるポエトリー・リーディングで、私も拙いながらも二篇の自作詩を朗読した。そして、第二部がノンフィクション作家の多田茂治氏による石原吉郎についての講演。

 石原吉郎は大戦中に従軍して満州に渡り、日本の敗戦によってソ連に捕らえられ、シベリアの強制収容所で重労働を課せられた。その後、帰国してから自らの体験を追認するように詩を書き、詩集『サンチョ・パンサの帰郷』によってH氏賞を受賞して詩壇での地位を占めるようになった。そうした事実を詩史の中の知識として知ってはいたが、今回の講演を聴くまでのそれは表面的な知識に留まっていたのではないかと思う。私にとってのそれは、単なる歴史の中の一ページであり、他人事にしか過ぎなかったのだ。それが今回の講演に触れることによって、自分にとってより身近なものとして感じられるようになったと思う。では、何故今回の講演が、私の石原吉郎に関する知識を表面的な理解から脱却させることにつながったのであろうか。それは端的に言えば、石原吉郎のシベリア抑留という体験が、私自身の体験と重なり合う感触を持ったからだと言える。私は二〇〇四年の春に妹を亡くしている。その取替えの利かない個人的な体験が、石原吉郎の体験と似た性質を持っているということに、私は気づかされたのだ。

 社会の中で生きている限り、すべての人はそれぞれに固有の体験を持つ。石原吉郎のシベリア抑留という体験も私の妹を亡くすという体験も、固有の体験という意味では同じである。たかが家族の死と歴史上の出来事であるシベリア抑留とを一緒にするなど、あまりにも乱暴であるかもしれない。だが、体験直後の状態は似通っているのではないだろうか。それは、「失語」というキイワードによって表しうると思う。

 石原吉郎は「詩の定義」という短い文章の中で、こう書いている。



 詩を書きはじめてまもない人たちの集まりなどで、いきなり「詩とは何か」といった質問を受けて、返答に窮することがある。
(中略)
 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩に於ける言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。

 おそらくシベリア抑留から帰国した石原吉郎は、それまでに味わったことのないような失語の中にいた。体験の強烈さが、失語状態をつくり出したのだと言える。私も同じように、妹の死後にそれまで体験したことのなかったような失語状態を味わった。少なくとも個人的な感触としては、あれは一種の失語状態であったのだと思わざるをえない。一種の茫然自失とした感じ、それがまるで現実に起こったことではないかのような、よそよそしい非現実感。そうした失語状態の中に、私は確かにいた。

 人が詩に向かうきっかけは何だろうか。人それぞれだとは思うが、ある特定の体験がきっかけになっていたという人は、けっこう多いのではないだろうか。おそらく現代では恋愛問題がその筆頭に来るものと思われるが、ごくありふれたものであるとは言え、体験した本人にとっては他に取替えの利かない特異な体験であろう。体験ということを言う時に、何もそれが外側から見て特殊である必要はない。確かに恋愛問題などは石原吉郎のシベリア抑留体験と比べれば、ありふれたつまらないものであるかもしれない。それに、石原吉郎の体験はあまりにも特殊でありすぎるし、そのことが彼の詩を他の現代詩から明確に隔てているようにも見える。だが、それは飽くまでも外側から見ればそう見えるというだけのことで、体験というものが本人にしかわからないものである以上、外部から見た大小など本当は大した問題ではないのではないかと思える。そう考えると、本人にとって特異なものであるという意味では、石原吉郎の体験と一般の人々の体験との間に差異はないのではないだろうか。私は何も石原吉郎の体験を、ごく一般的な恋愛問題などに引きずり落として語っているわけではない。体験というものの本質的な面を言っているのである。またそれが本人にとって貴重なものである限り、外側から見た大小で計ってはならないとも思う。どんなにくだらなくつまらなく見える体験でも、本人にとっては貴重な体験であるのだ。

 そう考えると、人は体験を通じて詩人になるのだとも言える。恋愛でも身内の者の死でも不遇な身の上でもいい。そうした体験を通して、人は言葉を獲得する。そして、それが特殊な体験として記憶に刻みこまれると、人は自らの主体が根本から変質したかのような感覚を味わい、それはある種の失語に近い感触をもたらしもする。そう、皮肉なことに、人は失語を通して言葉へと近づくのだ。

 体験が人を失語に追いやるということは、言い換えれば体験によって生の日常性が剥ぎ取られるということでもある。詩の言語は、本質的に日常の生活語とはかけ離れたベクトルを持っていると私は思っている。それは表面上のわかりやすさや晦渋さとは関係なく、詩の言語が本質的に持っている性質である。そう考えると、体験が日常性を剥ぎ取るということは、とても示唆的なことのように思えてくる。また、体験による失語状態というのは、一般的な日常語が消え去るということなのではないだろうか。体験によって日常語は消え去るが、それと同時に日常語からかけ離れた詩の言語が生れてくる。つまり、体験は日常語を死に至らしめ、代わりに詩の言語を誕生させる。そうした体験による言語の変質を経て、人は詩人となるのだ。

 先に引用した石原吉郎の「詩の定義」の中に、「失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである」という一節がある。いままで述べてきたように、失語とは日常語の死滅のことであり、また詩の言語の誕生をも意味する。そうすると、「失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志」というのは、日常と非日常との間で揺れ動く詩人の主体を言い表しているようにも思えてくる。また、「詩は、『書くまい』とする衝動なのだ」というのは、失語の状態にあってなお生きようとする意志のようにも思えてくる。確かに現代社会に生きる人々は、石原吉郎のシベリア抑留のような激烈な体験を持ちえないかもしれない。だが、体験というものがそれぞれにとって切実で個人的なものである以上、私たちは詩に向かうことが出来る。失語かそれに似た状態に身を置くことによって、詩の言葉へと一歩踏み出すことが出来る。それは日常から離れた視点を獲得しうるという意味において、生に対する態度でもありうるのだ。私たちはどんなにつらく恐ろしい体験に遭遇しようと、失語から生きることが可能なのだ。石原吉郎の詩と人生は、そのことを現代の人々に向かって無言で教えてくれているような気がする。



(註)石原吉郎「詩の定義」の引用は『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)から。


(二〇〇七年六月)


 

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