詩を読まない詩人への手紙


 おはよう。昨夜はよく眠れたかい? 夢の中で、変なものに追いかけられて、脅えて目を覚まして、朝食を食べながら、その夢がもしかしたら詩に使えるかもなんて、君は思っているかもしれない。

 それとも、こんばんは、かな? だとすると、君はこれから恐ろしい夢を見ることになるのかもしれないね。君がこの手紙を受け取るのは夜なのか、朝なのか、それとも陽が燦々と降り注ぐ昼間なのか、それを僕が知ることはないから、こんな挨拶、本当はどうでもいいことなんだろうけど。

 少し長い手紙になるけど、僕の話を聞いてほしい。何のことかというと、君が書いている詩のことについてなんだ。君は詩を書いていて、僕はそれを知っている。同じように僕も詩を書いていて、たぶん、君はそれを知っている。君は君の書く詩について、どう思っているんだろう。この頃、そんなことが少し気になるんだ。君は自分の詩を上等だと思うかい? いや、これは言い方が少しまずかったな。君は自分の詩に満足している? ちょこちょこと詩みたいなものを書いて、これでどうだ、なんて、悦に入ってるとしたら、それはちょっとまずいんじゃないかと思うんだ。

 僕は前々から君の詩のことを知っていて、僕は詩については少しばかり真剣に考えているから、君の詩が時々変な袋小路に入ってしまうことが、気になっていたんだ。僕は詩が大好きで、詩を書いている人みんなが、少しでも素晴らしい詩を生み出してくれたら良いなと思っているから、君にも素晴らしい詩を書いてほしいんだ。もし、君が、これまで詩の歴史の中で誰も書いたことがないような、すごい詩を書いてくれたら、僕はそれを素直に喜ぶよ。同じ詩を書いてる人間として、少しは嫉妬するだろうけど。

 いま、詩の歴史という言葉を使ったけど、君は詩についてどれだけのことを知ってる? 以前から君は、他人の詩をあまり読まないと言ってたね。君の得意そうな(あるいは申し訳なさそうな、かな?)笑顔の前で、いつも言うのをためらっていたんだけど、他人の詩を読まないことは、詩を書く人間として致命的なことだと思うよ。あるいは、君は自分が詩を読まないことについて、読む暇がないとか、自分の詩の中に他人の言葉が入ってくるのはいやだとか、いろいろ理由をつけて、正当化しようとしているかもしれないけど、僕に言わせれば、そんなものは詭弁に過ぎないよ。たとえば、君がものすごく実験的な詩を書いてやろうと思って、得意気にそれをみんなの前に差し出したとしても、君の書いたその実験的な詩は、既に誰かが書いたものの亜流にしか過ぎない、そんなことも起こりうるわけだよ。つまり、君は詩を読まないから、詩の歴史を知らないから、君の詩が、偶然、歴史上の詩のどれかとバッティングしてしまう可能性がある、ということなんだ。

 それは、とても恥ずかしいことだとは思わないかい?

 少しきつい言い方をしてすまないと思うけど、もう少し言わせてもらえるかな。

 何故、君が人の書いた詩を読まないのか、その本当の理由が何なのか、僕にはわからない。それは君の怠惰のゆえか、それとも、君の頑固のゆえか、そのどちらかなのかなって、僕は想像しているんだけど、まあ、僕の想像や推理なんてどうでもいいから、話を先に進めよう。

 もし、君が、詩なんていつかは書かなくなるもので、いまは書くことを楽しみたいだけなんだと、そう思っているとしたら、僕には何も言うことは出来ない。でも、もし、君が、詩のことを真剣に考えていて、これから先もずっと詩を書きつづけるつもりでいて、詩を書かないでいる人生なんて考えられないと、そう思っているとしたら、君は、他人の詩を読まないでただ自分が書くだけだなんて、そんな考えは捨てた方が良いと思うよ。君の詩は、君が生きている現在という時間の上にある。でも、同時に、ずっと大昔から、数え切れないほど多くの詩人たちが書いてきた詩の歴史の延長線上にあるものでもあるんだ。これは、野村喜和夫という現代日本有数の優れた詩人が書いた詩論集『現代詩作マニュアル』という本に書いてあったことを、僕が勝手に自分なりの言い方で言い替えているんだけど、それはともかく、そうした歴史の上に立つ自分というものを自覚すれば、君の詩はもっとよくなるはずだし、そういう意識を持つことで、詩に対する視野が広がってくると思うんだ。それは、決して無駄なことではないよ。

 いま、君は、自分の生まれついての才能の赴くままに書いているだけなのかもしれない。でも、どんな人の場合も、才能というものには限界があるし、春の嵐のような詩作の大波が過ぎ去ってしまえば、君は詩を書くことの困難を感じることになるに違いないんだ。もし、そうした大量詩作の時期が過ぎ去ったとしても、人の詩をたくさん読んでいれば、詩の歴史の中に深く分け入っていたら、多くの詩を読んできた読書体験が、知らず知らずのうちに心と頭と身体の中に蓄積されて、詩に対する困難を感じる度合いも少しは減少すると思うんだ。つまり、蓄えがあった方が安心というわけさ。

 飽くことなく詩を書きつづける欲求を君が持っているのならば、君は詩の歴史をもっと知るべきだよ。僕はこれまで、君の目につきそうなところに、田村隆一だとか、吉岡実だとか、入沢康夫だとか、それらの詩人について書いた、評論みたいなへたくそな文章を放り出してきたけど、君は気づいてくれたかな? あれは、君のために詩人たちを紹介した文章で、評論というよりも、君に、人の詩を読むことの、限りなく奥深い面白さと素晴らしさを、知ってほしくて書いたものだったんだ。井の中の蛙なんて、悲しいものさ。たとえそんな小さな水たまりに飛びこんだとしても、その音は世界に響くことはないし、人の心を響かせることも、出来はしないだろう。いいかげんに変なこだわりや怠慢から脱け出して、詩を読むことだよ。そうすれば、君はもっと素晴らしい詩が書けるようになるよ。まあ、僕のへたくそな詩なんか読まなくてもいいんだけど、僕よりもずっと素晴らしい詩を書く人はたくさん、それこそ星の数ほどいるから、それらの星を、少しでも多く味わってほしいと、僕は思うんだ。

 長々と書いてきてしまったね。こんな手紙を受け取って、君は当惑しているかもしれない。それどころか、怒っているかもしれない。自分にこんなことを言って、おまえは何様のつもりだなんて、この手紙を破り捨てたくなっているかもしれない。でも、これだけは憶えておいてほしいんだ。僕は君の詩が好きだし、君が詩を書いているというそのこと自体が大好きなんだ。世の中に、君みたいに詩を書く人間がもっとたくさんいれば良いのにな、と思っている。だからこそ、君にこうして手紙を書いたんだ。

 もうこのへんでやめておくよ。君の砦の中にお邪魔してしまって、申し訳ない。おやすみ(それとも、おはよう、かな?)。君の今夜の夢が、君に新しい歌をうたわせてくれることを願って。



(二〇〇五年十一月)



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