アンチテーゼの快楽


 現在の日本の詩を覆っている状況はいかなるものであるか。それは人それぞれに思うところがあるだろう。一般に『荒地』から始まるとされる日本の戦後現代詩の道のりを考えると、その行き着く先に何があるのか、あるいは何もないのか、ただもうひとつの「荒地」が広がるだけなのか、いろいろな意見があっていいだろう。だが、見たところ、特に詩暦の短い人たちの間で現状に対する不満が多いらしい。いわゆる思潮社的(または「現代詩手帖的」でもいいが)詩壇に対する不満が多いように思える。
 思潮社が刊行する詩誌『現代詩手帖』が創刊されたのは一九五九年のことで、思潮社の刊行物の中で『現代詩手帖』とともに象徴的な地位を占める現代詩文庫のシリーズが刊行され始めたのが一九六八年のことである(註1)。この文章を書いている二〇〇九年から逆算して、『現代詩手帖』の創刊まで五十年、現代詩文庫の刊行開始でも四十一年になる。五十年や四十年といえばひと昔もふた昔も前であり、その後に生まれた人たちが詩に触れ、詩を書き始めるようになるには充分すぎる時間だ。若い人たちにとっては、はるか遠い昔のように思える年数だろう。その間にいわゆる思潮社的詩壇はその地歩を固め、ある種の権威として屹立するようになった。つまり、この五十年や四十年といった年月は、もう充分すぎるほどに歴史になっているのであり、その時間の総量が(思潮社が自ら固めた地位と同時に、あるいはそれ以上に)思潮社的詩壇に権威性を付与してしまっている。
 そのことに反発を覚える者がいるのはある意味当然であり、人間の精神としては至極まっとうで健全な反応であるとも言える。そのような反発が具体的な発言となる時、現代詩文庫に代表されるような現代詩のコンパクト化への反発や、野村喜和夫や城戸朱理といった特定の人物に対する反発(註2)、現代詩手帖賞や中原中也賞や萩原朔太郎賞といった賞の透明性を疑うといった態度となってくる。繰り返すが、これは人としてまっとうな態度である。既存の権威への疑いを表明し、それを糾弾しようとする態度がなければ、詩のみならず社会のシステムそのものも機能しえなくなる恐れがある。権威に対する疑義や反発といったものは、システムそのものの潤滑油になりうる。権威がただ権威としてのみふるまうのならば水は濁るばかりだから、それに反発するのも大切なことだ。
 だが、本当にそれだけでいいのだろうか? 現在の日本の詩壇の中心的位置に座している(とされる)思潮社的権威にただ反旗を翻すだけで、本当にいいのだろうか?
 現在の日本の詩の状況を考えるならば、思潮社的詩壇に反発するということは一種のアンチテーゼを提示していることになる。思潮社がテーゼ(命題)であり、それに反発する態度がアンチテーゼ(反対命題)ということになる。しかし、思潮社的詩壇に反発する者たちの中にはただ反発するだけで、それに代わる道を指し示すことのない者も少なくない。彼等は、ただ文句を言っている。口を開けば「野村と城戸を降ろせ」というようなことしか言わない。思潮社的詩壇に代わる別の何か(サムシング・エルス)を提示することなしにただ文句を言っているだけである。それだけで、本当にいいのだろうか?
 世にパンクという音楽がある。アメリカ東海岸とイギリスで一九七〇年代後半に勃発した、ロック界の一大ムーブメントである。特にイギリスでは、七〇年代中盤あたりから興り始めたパブロックが下地となり、一足先にデビューしたラモーンズあたりのニューヨークパンクの刺激もあって、全土に広がっていった。その象徴的存在となったのはかのセックスピストルズであろうが、このパンクを一身に体現したようなバンドはごく短期間のうちに消滅してしまった。イギリスでは他にクラッシュ、ジャム、ストラングラーズ、ダムドあたりが、先のセックスピストルズと合わせてパンクの中心的バンドであったと見做されている。セックスピストルズはアルバム一枚を残しただけで消滅してしまったが、他の主要バンドはそれぞれそれなりの数のアルバムを残している。彼等はみな初期においてはセックスピトルズと同じく、パンクの初期衝動を純粋培養したような攻撃的な音楽性を持っていた。それがアルバムを2枚3枚と重ねていくうちに、当初の攻撃性を次第に薄めていき、果てはパンクの初期衝動とは対極の位置にあるようなポップな音楽性にたどりついていった。これは表面的には、パンクがその短いいのちを散らしていき既存の音楽に吸収されていった過程であるように見える。だがその実、彼等生き残ったパンクスたちはすべてに反抗するという態度を通過して、彼等が当初反発していた古いものと自らが獲得した新しいものを混ぜ合わせた上で、それらを超越した新たな境地に立ったということではないだろうかと思える。
 これを弁証法的な図式に即して言い換えるなら、次のようになる。

  1. テーゼ(命題) → パンクスたちが忌み嫌っていた音楽の古い体制
  2. アンチテーゼ(反対命題) → 古い音楽とその体制に代わる新しい音楽とそれにまつわる思考、パンクという音楽ジャンルの成立
  3. アウフヘーベン(止揚) → 古い音楽と新しい音楽双方の良質な部分を取り入れた上での発展

 この図式を、そのまま現在の日本の詩の状況に照らし合わせてみるとどうか。思潮社的詩壇がテーゼ(先の1.の部分)だとして、それに反発するのがアンチテーゼ(2.のパンクスたちの立場)とする。こうして当てはめてみると、思潮社的詩壇に反発する人たちはいまだ2.の単純な反抗の態度に留まっており、3.の段階にまで行き着けていない。それどころか、2.の立場も不鮮明だ。かつてのパンクスたちは曲りなりにもそれまでの音楽とは違うパンクという別の道を指し示したが、思潮社的詩壇に文句を言うだけの人たちはその別の道すら指し示すことが出来ていない。厳密に言えば、アンチテーゼになりきれていないのだ。これは致命的だろう。思潮社的詩壇を忌み嫌うのであるならば、自らがそれに代わる別の何か(サムシング・エルス)を提示すべきで、それをやらずにただ反発しているだけでは駄々をこねる子供と変らない。たとえば国民が政府に対して不満を持つのとは違い、自らも詩を書き詩を語ることの出来る立場にいるのだから、ただ既存の権威に文句を言うだけではあまりにも芸がなさすぎるというものだ。政治に直接関わることの出来ない国民でさえも選挙という手段で意思を示すことが出来るのだから、権威から離れた場所にいるとは言っても詩を書く者という意味では同じ土俵にいるのだから、積極的に別の何かを模索するべきだろう。
 アンチテーゼの立場に立つというのは、けっこう気持ちいいものだ。既存の権威に反発していれば、それだけで何かを言ったような気分を味わえる。言ってみれば、お手軽に偉くなったような錯覚をもたらしてくれるのだ。だから気持ちいいし、なかなかやめられない。自分は特に何もしなくても、権威に中指を突き立てるだけでストレス解消にもなってくれる。だが、アンチテーゼというのは本来乗り越えるべきものであり、通り過ぎるべきひとつの時期と考えるべきだ。少年の反抗期のようなもので、いつまでもそこに留まっていたのでは何も出来ない。何の疑いもなくテーゼをそのまま受け入れるのも鈍感だが、アンチテーゼの立場に居直るのも同様に鈍感だろう。その立場に留まってそこに寄りかかっている限りは、何らの発展性もないと知るべきだ。アンチテーゼの快楽はお手軽であるがゆえにしつこいもので、それを乗り越えるのは難しいかもしれない。だが、詩の未来を案じるのであれば、快楽に浸りきって悦に入っているだけでは駄目だろう。パンクがごく短期間に終ってしまったように、既存の権威への単なる反発の時期も早々に終らせるべきだ(註3)。



(註1)『現代詩手帖』の創刊年は『現代詩手帖』二〇〇九年二月号の特集「[復刻]現代詩手帖 @創刊号」による。現代詩文庫の方は『現代詩文庫1 田村隆一詩集』の奥付から。

(註2)一部では野村喜和夫と城戸朱理の二人を思潮社的詩壇の難解性を代表する者として、それゆえに(わかりやすい詩や詩論を求める立場から)排斥すべしという考えもあるようだが、僕が思うにこの二人は思潮社的難解性を代表するから思潮社が重用しているのではなく、単にナビゲーターあるいは解説者として便利だから重宝されているに過ぎない。この二人を難解詩学の頂点と見做す考えには、首を傾げざるをえない。いったいどこを見ているのだろうか。

(註3)おそらく思潮社的詩壇に反発している人が少なからずいるように思えるのは、僕がネット詩の現場を体験しているからだろう。これは推測だが、ネット詩という土壌は当初、既存の詩壇へのカウンターとしての役割も期待されていたのではないだろうか。『文学極道』あたりはそうした役割を自ら買って出ているような雰囲気が感じられる。だが、僕の見たところでは、ネット詩はネット詩というジャンルである前にネットであったために、小市民的な矮小な感性に落ちこんで身動きが取れなくなっているように思う。そしてそれは、権威として大きくなりすぎたために身動きが取れなくなっている既存の詩壇と、図らずも軌を一にしてしまっているようにも思えるのだ。


(二〇〇九年二月)



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