ここだけに風が


ここだけに風が吹いて
ゆっくりと渡ってゆく
他の場所はしずかで
花の揺れる音さえもしない
赦すことも
赦されることも同じ
そんなふうにして誰もが忘れては耐えて
無言の時を過ごしている
だが 風はいつもここだけに
吹いては通り過ぎて
山の向こうに消えてゆく
その先で 風は切断されてしまう

ここだけに風が吹いていて
そのことをいつも私は忘れてしまう
他の場所では忘れることに慣れた人々が
終らない枯れた現在を正確に刻んでいる
赦すことも
赦されることも
そこではどうでもいいことであって
だからこそ 風はいつもここだけに
吹いては この身に忘れることの
意味を問いかけている
忘れることは罪であるか
それとも 日々への報酬であるか

ここだけに風が吹いている
私がたたずむこの狭い場所だけに
かつて忘れることは憎まれた
散るようにいなくなったものたちへの
しずかな冒涜であると
だが 赦すことも
赦されることも
風が運ぶ土埃によって汚された
そんな心身にとっては
変ることではなかった
私も人になるのだ そう思って
忘れられない人々を風のなかに追った

ここだけに風が吹くのは
私がまだ赦してもいなければ
赦されてもいないからだ
いまここに 鉢植えの花が一輪ある
それは私が知らぬ間に
誰かとともに育てた花だ
そこだけに 世界にたった一輪だけ
咲いている花の上に 風が吹いている
誰だかわからないその人との思い出を撫でるように
やがて来る春のために 花は風に揺れ
一瞬ごとに新しくなって
世界に向かって咲こうとしている


(二〇一七年三月執筆)


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