旅人


いちども風に戦いだことのない草が
いっせいに曲って 日が翳ると
その姿勢のままで胸に留まってゆく
曇り空の下で見知らぬ
旅人が起き上がる
それから傾いて
坂道をゆっくりと上る
見えない噂が駆け上がると
これは流行り病だからと
みんな温かくして閉じこもる
足跡はひとつずつ着実につけられ
そこに踏みつぶされたままの雑穀を
小鳥がついばんでは飛び去る
いちども風に戦いだことがないはずの草が
もういちどいっせいに曲って 手慣れたように
その姿勢のままで胸を汚してゆく
曇り空の下で見知らぬ
旅人が起き上がる
それから地平線の向こうまで
膝をゆっくりと曲げる
傾きすぎてもはや落ちそうな赤い日の下で
聞こえない噂がつぎつぎに押印されて
草は曲げられたままで枯れる
顔の見えない旅人の後ろ姿を眺めて
名前のない子は母に尋ねるが
母の旅はすでに終り
これから風に戦ぐわが子に
ねじれた角度のままでつぶやく
あれは見知らぬ人だから
知らないままでいいのだよ


(二〇一六年十月執筆)


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