夜が歌のようにやってくる


夜が歌のようにやってくる
すると大気は薄く広がり
湿気を帯びて
人々の喉に絡みつく
予測された恩寵に人々はほっと息をつき
果てしない家路への道を
また歩き始める

夜が歌のようにやってくる
すると暗さのなかでまたたく
明るさのようなものが
ほのかに見えてくる
人々は疲れて日の終りに身を横たえ
果ても知らない自らへの旅を
遡行しはじめる

夜が歌のようにやってくる
するとそこに立ち止まるのは
善でも悪でもない
それらを越えた何かだ
人々はたとえば通りすぎる黒猫の眼のなかに
それを見ようとするが
見えるのはただ虚空だけだ

夜は歌のようにやってくるが
それは完全な歌ではなく
歌のようなものでしかない
だからそれを書き起こし
うたえるようにする者がいなければ

だが夜の旋律はいままで
一度も解析されたこともなければ
果てしない夜の繰り返しとともに
それに呑みこまれた者も一人もいなかった

夜はそれほどまでにして
人々から姿を隠し
その暗さのなかで
意味ありげに明滅している

そしてまた夜が歌のようにやってくる
その歌をはじめてうたう者になろうと
ただ一人の孤独な旅人が
星空の下をさまよう
だが夜はその黒い切れ端をほんの少しだけ触らせると
また謎めいた果てのなさのなかに
しずかに逃げこんでゆく

あとに残されたのは
自らの果ての見えない旅を
つづけなければならない一人の人の
かすかな湿気を帯びた掌だけだ

今日もまた
夜が歌のようにやってくる
世界中の暗さの前で
あらゆる病んでいる生の前で
癒すように
また誘うように
夜が歌のようにやってくる


(二〇一六年四月執筆)


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