まぼろしから


街を歩いていると、吹き過ぎる風のなかに多くの人の姿
が見える。すべてはぼんやりと、蜃気楼のように揺らめ
いていて、人も歩きながら揺れていて、それは俺が揺れ
ているためにそう見えるだけなのだが、まるで風に揺れ
る木の葉のごとくだ。その姿はまぼろしのように輝いて
いて、眩しさに俺はどこか後ろめたい気持ちになってし
まう。俺も彼等のように風に揺れる余生であったならと
夢想したことが何度かあったが、きっともう遅い。俺は
もう手遅れで、それにもかかわらず、そのなかで必死に
もがいているだけなのだ。風のなかにさまざまな言葉を
聞く者は、そのせいで何かの身代わりになってしまう。

もはやすべてがまぼろしで、人々でさえもすでにまぼろ
しで、そのなかで、風だけが固く現実だ。そういえば、
風はいつもこんなふうに吹いていたのだなと思い出す。
そこに雨も混じって強く激しく吹けば、暴風雨! 実に
最高だ。その爽快さのひとかけらでもあれば、これらの
まぼろしも吹き飛んでくれたかもしれないが、まぼろし
はまぼろしとして変らずに、まるで現実のようにそこに
ありつづけるだけだ。俺はただ一人風をまともに受けて
しまってよろめくが、それが俺の現実感を保証してくれ
るはずもない。風はまぼろしの間を縫うように吹いて、
そのなかにどんな思いもこめられることはもうなくて。

風のふるさとであるはずの空は、いまや領空侵犯されて
いくつにも区切られてしまっている。それらをまとめて
ひとつらなりの天とするには、きっともう遅いのだ。俺
は手遅れで、そのためにまぼろしのような街や人々より
もさらに頼りなく、薄く引き延ばされてしまっている。
そうして引っ張られた俺の身体の端は、いまや地平線に
まで届くかに見える。そうなってしまっても、人々が俺
に気がつくことはなくて、まぼろし同士の性質で彼等の
靴音が反響し合うだけだ。そして風は空のそれぞれの場
所から無作為に抽出されてやってきて、それらのすべて
が俺のところにたどりついて、うたいだしてしまって。

何度でも、まぼろしから始めなければならない。いつだ
って、風は知らぬ間に吹き始めて、知らぬ間に止んでい
た。それぞれの瞬間を、誰も目撃することはなかった。
だからこそ俺は、風のなかに何かを聞いて、何かを見つ
けたかった。だが、いまやまるで違法行為であるかのよ
うに、変な目で見られる時世だ。風はただ風としてあっ
て、意味もなく吹くだけだ。そして現実にもまぼろしに
も意味はなく、それらのなかに意味を求めるには、もう
手遅れなのだ。だからこそ俺はすべてをまぼろしのよう
に思い描いて、変らずに風のなかを行かねばならない。
何度風に揺れても、再びまぼろしから始めるために。

それからまぼろしは ますます輝いて
その隙間を風は吹いて
このまぼろしから
次のまぼろしまでの 距離を測ろうと
俺は風のなかにゆっくりと
手を差し出す


(二〇一六年二〜三月執筆)


戻る   表紙